弁当食わせて腹が立った発言集!これってあるあるなのか……?

スポンサーリンク
弁当 作り置きと保存食
スポンサーリンク

※当ブログではアフィリエイト広告を利用しています。

 

以前異性に手料理を食べさせて余計なことを言われた経験をまとめた記事をアップしました。

アクセス数だけの判断ですが、それが意外に見られているようで……。

 

世の中には手料理食わせて嫌な思いをした人が思いのほかたくさんいるんじゃないかと感じました。

ということでもっとネタは無いかと記憶を絞り出し、第二弾をまとめていきたいと思います。

今回は「弁当」にテーマを絞って発言を書いていきます。

また、私の経験だけではなく、人に聞いた愚痴もあります。

 

ではどうぞご覧ください!

その1(手料理食わせて腹が立った発言集)はこちら

スポンサーリンク

会社で弁当をけなされたとわざわざ言う

彼氏と同棲中の頃、お弁当を作ってと頼まれました。

で、弁当箱がないので自分で適量のものを用意して、と言って出されたのが100均の半透明タッパー。

そこにザンギ(前日の残り)、ごまあえ(前日の残り)、ゆでブロッコリー(前日の残り)、キューちゃんか何か(市販)、玉子焼き程度のおかずを詰めて渡しましたよ。そして白飯と梅干。

手はかかっていないけれど別に特別な日ではないし、アラサーのオッサンが持つ弁当だし、おかずの質で言ったら別に普通だと思います。

が、彼の帰宅後、「会社でショボい粗食弁当だって言われたわ」と言ってタッパーを返してきやがった!!!

 

確かに地味だし、彩りそれほど気にしなかったしで、見た目に「わあっ」となるような弁当ではありませんでしたよ。ガワがタッパーだしね。

そもそもタッパーなのは相手の指定だし。つーか粗食って何?揚げ物入っているし結構ガッツリだと思うけど!!

 

しかし、嫁でもない人に頼んどいてそれを会社で「ショボい」だの「粗食」だの言われた、と、わざわざ私に報告する必要あります?

他人の弁当にケチ付けるその同僚もどうかと思いますが、そんな心無いことを言われても、作り手には伝えるべきではない話です。

しかも同棲中で生活費は折半、私は相手と同じくらいの時間働いてるんです。(そのうえ私は弁当必要なし)

 

付き合いが浅ければスッとさよならする選択肢もありましたが、もう同棲中ということで些細なことで別れるのも面倒、すぐさま「そこに座れ!」モードで説教し、改心させました。

しかもその一年後くらいに結婚しました(つまり現旦那の話です)。

今では上記と同じようなおかずを普通の弁当箱に入れて渡しています。ガワが変わるだけで見栄えするもんですね。

「奥さん料理上手な○○が羨ましーなー!!」

男弁当

画像はイメージです

これはかつて友達だった人の話。

(私が知る限り)ややモラハラ気味のご主人を持つ同世代の女性なのですが、あまり料理が好きではないけれど、健康のために簡単なものを作って持たせているそうです。

そのご主人はイチイチうるさく、時にはおかずの構成、時には量の問題、時には食べやすさなどをダメ出ししてくるんだそうです。

そして聞いててひどいな、と思ったのが「同僚の弁当と比較してダメ出しされる」という話。

いい嫁がいてあいつが羨ましい」とか、「ああいう奥さんをもらうべきだった」とか言うんですって。

 

その友達のご主人は「嫁に尽くさせている」という周囲へのアピールのために弁当を所望しているらしく、忙しさを理由に食べずに帰ってきて(それも「弁当を食う暇もないほど忙しいアピール」とのこと)、手つかずの弁当を嫁の目の前で捨てたりすることもあるそうです……。

その友人とは今は付き合いがありませんが、よく離婚せずに耐えられるな、と思っていたものです。

今どうしてるんだろ。

「実は弁当のあれが嫌いだった」と定年後に言う

玉子焼き

画像はイメージです

嫁に気を遣って、必要なことを言わないのも結構困ったものです。

これはうちの両親の話なんですが、定年退職した父がある日突然「実を言うと甘い玉子焼きは好きじゃない」と言い出したそうな。

 

うちの母の弁当には必ず玉子焼きが入っています。そして、母の実家の味に則って甘い味にしています。

私たち兄弟はこれが当たり前と思って育ちましたが、どうやら父の実家は甘くない玉子焼きの家だったらしい。

父は好きじゃない甘い玉子焼きをずっと我慢して、それでも食べ慣れることなく40年近くやり過ごしてきたようです。それも毎日。

ある意味父の気遣いですが、母は「そういうことは早めに言ってよ!!」と怒っていました。もう弁当を作る機会が無くなってから言われても……ということですね。

 

こんなふうに、自分の好みを言わないことも却って相手を困らせるケースもあるようです。

弁当作りの極意は「心を込めない」

弁当箱

画像はイメージです

と、このように、弁当を作るにあたっても男女の軋轢が生まれることがよくあります。

それは、「弁当=愛情」みたいな方程式がまだ残っているからではないかと思います。

これ、聞こえはいいですけど余計なお世話ですよね。愛情がないと作れないものかというとそうでもないし、作らないから愛情がないというわけでもない。

(お子さんのお弁当に関しては、また別な心持があると思いますが、なんせうちは子がおらぬもので、夫婦間の話しかわからないのです……。)

 

家族の弁当ライフを円滑に進めるために必要なことは、「作ってもらっている」という意識を適度に持つこと、「作ってやっている」という意識を持ちすぎないことだと思います。

「作ってもらっている」ということを忘れると「作ってもらうのが当たり前」となり、作り手の目の前で弁当を投げ捨てるような鬼になってしまうし、かと言って「作ってもらってるんだから」と思い詰めると我慢ばかりで美味しくない昼食になる。

作り手側も、「作ってやっている」と思いすぎると思わぬ相手の反応に必要以上に腹が立ち、自分が傷ついてしまって二度と作る気が起きないという事態になるかもしれない。

 

今私は愛も情も込めず、かと言って嫌々でもなく、毎日歯を磨いて顔を洗うかの如く、無感情で弁当を作って持たせています。

誰が食べるかを意識していないので、夫婦喧嘩をしても弁当は作ります。弁当を愛情を示す秤にしてはいけないと思っているので……。考えすぎですが、愛情を得られない人は飢えて〇ね、と言っているような気になってこっちが泣きそうになる。

 

そして、忙しかったり、外食の翌日で詰めるものがなかったりという日は、「今日弁当ナシ!」と言っておしまい。申し訳ないと思うこともない。

毎日のことなんだから、無理したら負けてしまいます。

 

今、自分以外の人への弁当作りに苦しんでいる人は、感情を捨ててただの「作業」としてやってみるのも一つの方法です。

 

最後説教臭くなりましたが、今日はこのへんで。

では!

コメント

タイトルとURLをコピーしました