「食べ物に興味がない」という人。
実は、何人かそんな主義の人が近くにいるのですが、なかなか相容れない部分が大きく困ったこともありました。
でも、ちょっと視点を変えて、「何でそんな考えに至ったのだろう」と考えてみると、それには本人なりの価値観があるということもわかってきました。
そこで今日は、今まで出会った「食べ物に興味がない」という理由やその傾向について気付いたことを書いてみます。
裕福な育ち
やはり、食べ物が不足している環境で育った人は食べ物への執着が強い。
例えば私の父は貧乏子だくさん兄弟の下の方なので常に生存競争が激しく、恐ろしく食い意地が張っています。
また、うちの旦那さんのお母さん、つまり義母も同じく兄弟がたくさんいる育ちですが、別な意味で食べ物への執着が強く、好き嫌いがとても激しいです。(嫌いなものは惜しみなく残し、食べたいものだけたくさん食べたいという考え)
こんな人々とは逆に、食べたいときに食べたいものが手に入る環境で育った人は、「食べる」ということに喜びを見いだせなくなっているように感じます。
豊かゆえ空腹のペッコペコの状態でご飯を食べたことが無い人は、食べることの本当の喜びを知らないのかもしれません。
生まれつき胃腸が弱い、食物アレルギーがある
胃腸が弱く、何を食べてもお腹を壊すという人は、食べ物=苦痛を与える憎い奴と思ってしまっても仕方がないかもしれません。
また、複数の食物アレルギー持ちで、食べられるものが限られているという人も、ちょっと選択を誤ると命に関わるというリスクを抱えていますよね。
このように、そもそも「食べる」ということ自体が一苦労の人は、「食べたいもの」よりも「食べられるもの」を探す方が優先事項になります。
そのせいで食べ物を選択する行為に対しての価値観が人と違ってしまうのは十分に考えられます。
食べたいものを食べてもその後に後悔してしまうのなら、そもそも興味を持たない方が良いという考えも頷けますね。
美容・健康意識が高い
低糖質ダイエット、グルテンフリー、マクロビオティック……。
昨今の健康ブームのせいで、味よりも身体に与えられる影響を重視した食のスタイルは、今やどこにでも転がっています。
このように、「美味しく食べる」よりも「美しくなれるものを食べる」「健康になれるものを食べる」ということが重視されるという背景から、「食べ物の味に興味がない」という人が増えているように思います。
食べ物は自分の肉体に変化を与えるスイッチの一つだと考えれば、確かに味わうことを目的とした食べ物には関心が無くなりますよね。
薬やサプリメントの味にいちいち文句を付けていられないというような感じかな。
美味しく食べる時間が勿体ない
食べるという行為自体に意義を見出せないという人も知っています。
明日身体が動くだけの栄養を摂れれば、生きられれば良いのだから、食べ物になんて興味を持っていられないという感じ。
ゼリー飲料やシリアルバー、サプリメントだけで生きているような人でした。
こんなんで人生楽しいの?と思ったこともありましたが、本人は食べる以外の楽しいことが多すぎて、食べ物を味わうのに時間を割いてはいられないのだとか。
合理性を追求した結果、「美味しく食べる」という項目を削除してしまったのですね。
まとめ
「食べ物に興味がない」という考えを持つ人の、4つのパターンを思い出してみました。
私は食い意地が張っているので(笑)、よく「そんなにこだわって何の意味があるの?」と言われたもんです。
そういう人は大抵食べ物に興味がないと自ら言ってしまうタイプで、それがまるで高尚なことのように考えている人ばかりでした。
そんな時私は、「卑しい」と言われたような気になって落ち込んだものですが、でも、「食べる喜び」を知らないということはかわいそうだなとも思うのです。
相手の方も同じく私のことを「食べることなんかに溺れてみっともない」と思っているはず。
だからこそ、食べることに興味がないと言い切る人には美味しいものは勧めませんし、表立って非難もしません。
でも結局、向こうは食べ物への興味が尽きない人種を理解しようとはしないので、やっぱり心の中では「相容れない」と思ってしまうのでした。
愚痴めいていてごめんなさい
今日はこんなちょっと愚痴めいた話でした。
まあアレです、つい最近、興味がない側の人に「よくそこまでこだわる気力あるね(笑)」と言われてしまってその腹いせのような文章になってしまいました。
お目汚し失礼いたしました!
今日はここまで!
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